対子場をうまく利用しないと麻雀は勝てない

麻雀コラム

麻雀には対子場、順子場という言葉があります。

ざっくり言うと牌のかたよりがどうなっているかということですが、今の麻雀業界は順子手ばかりを重視する傾向にあります。

 

でも麻雀は対子場をうまく利用しないと勝てないんです。

なぜなら麻雀の場は順子手が和了りやすい順子場ばかりではないからです。

 

さらに言うなら麻雀の場は他にも種類があります。

順番に説明していきましょう。

 

対子場と順子場

麻雀の場(※)というものには色々あるんだけど、一般的にもよく使われている中に対子場と順子場というのがあります。

これは牌の偏りが生み出すもので、対子場では牌が重なりやすくなり、順子場では重なりにくくなります。

 

対子場では順子が完成しにくいので順子系の手を作ろうとしてもうまくいきにくく、逆に対子系の手を作ろうとすればうまくいきやすい。

順子場はその逆で、対子系を作ろうとしてもうまくいきにくく、順子系の手を作ろうとすればうまくいきやすい。

 

そしてこの対子場と順子場との間に混合場というものがあります。

みんな順子場、対子場、って言葉を使っているんだけれども、実際には対子が濃いか薄いかでしかない。

 

とても薄い←薄い ←中間→ 濃い →とても濃い

完全順子場←順子場←混合場→対子場→完全対子場

 

 

 


※ゲームが好きな人には「フィールド属性」という言葉のほうがわかりやすいと思います。
対子、順子、色、ドラ、門前、鳴き、真ん中、端っこ、などの属性がその場に影響を与えている。
牌の並びがどう偏っているかということ。


 

 

対子場?(※画像はイメージです)

(画像引用元:https://edmm.jp/8840/)

 

対子場での現象と和了るためのコツ

まずは対子場に気付くことができないといけませんが、これは自分の手牌とすべての捨て牌、自分のツモの流れなどを見て判断します。

 

対子場かどうかをチェックする要素

・配牌の時点で自分の手牌に対子、暗刻が多い

・配牌の時点で147、258、369とスジの牌を持っていないかどうかを見る

・早い段階から捨て牌に同じ牌(特に数牌はスジも)があるかどうかを見る

・順子の両面が引けずに牌が重なってくる

・順子がまったく増えていかない

・ポンが多い(暗刻も増えてくる)

・よくかぶる(捨て牌にもかぶった牌が並ぶ)

 

これらが多く見られるほど完全対子場である可能性が高くなり、四暗刻、対々和、三暗刻、七対子などの対子系の役が活躍するような場になる。

ってことは、それらの役を狙っていけば和了れる可能性が高いということです。

対子場では特にスジの牌が重なりやすいので、それも意識して手作りしていくと和了りやすくなります。

 

ちなみに七対子という役は、一般的なデータでは出現率が3%未満だそうですが、対子場を意識して対子系のほうに寄せていくという打ち方をすれば絶対にこんなに低い数字にはなりません。

多くの方が順子系ばかり大事にしていて、七対子を狙っていないから和了れないし対子系の手順も下手くそというだけのことなんです。

これは四暗刻、対々和、三暗刻なども同様です。

 

データをとっているわけではありませんので具体的な数字は出せませんが、対子場を感じてちゃんと狙えばもっと和了れます。

ってゆーか、完全対子場ではとにかく数牌が横に伸びずに順子になりませんから。

対子系の役じゃないと和了れないんですよ(^_^;)

 

完全順子場はその逆で対子系の手は和了れません。

平和系全般、国士無双などがチャンスとなります。世間一般的な麻雀論は多くの場合、この完全順子場を想定して語られています。

 

でも実質的にもっとも多いのは混合場です。

完全順子場なんて実はあんまりないし、対子場のほうが多いんです。

だから対子をうまく利用しないと麻雀は勝てないんです。

ちなみに混合場では二盃口、一盃口がわりと出やすくなります。

対子と順子が半々ぐらいで現れる手が和了りやすくなるというわけです。

 

ま、残念ながらここに書いたことを証明することはできませんけどね(^_^;)

とりあえず、確率論ばかりを持ち出して疑ってばかりいるんじゃなくて、偏見を捨ててしばらく対子を意識して打ってみてほしいですね。

ここに書かれたようなことが卓上で本当に発生しているかどうかをご自分の目で確認してみてくださいな。

 

これは受け入れる気があるかどうかの問題です。

大半の人が(自分が理解しやすい、納得できる)確率論にとらわれていて、そこにある流れを見ようともしていないだけですから。

流れは見ようとすれば見えますし、見えたら受け入れるしかなくなります。

 

受け入れる気がない人はどーぞお好きになさってくださいな。

私も無理にとは言いません(^_^;)

 

対子場で順子が完成しにくいのは理屈じゃない

一般的によくされている麻雀論では順子系の手作りを重視します。

両面の良型で待とうと手作りしていこうとするわけですな。

 

「56」って両面搭子があればその両脇の「47」が4枚ずつで8枚、「56」は3枚ずつで6枚。そんな当たり前過ぎることはも・ち・ろ・んわかってます。

でも「47」が来ないで「56」が重なってくるし、2、2、2と3連続で同じ牌を引いてくることもある。

そしてそーゆー時の捨て牌や自分の手牌、配牌の時に持っていた牌、かぶって捨てられる牌の数々・・・

 

これはもう理屈じゃありませんよ。

あなたもそんな経験が一日のうちに何度となくあった覚えがありませんか?

 

対子場の存在を完全否定するほうが無理がある

なんどもシツコイですが確率論はもちろんわかってます。

両面待ちで順子を作ろうとしたくなるのは当然ですし、確率論だけで言えばそれが正しいと言えます。

 

しかし、確率でいうと高いはずの二萬、五萬が引けずに、確率では低いはずの三萬、四萬を引いてきてしまうというケースは、これまで山ほど発生しているはずです。

しかも同じ日、同じ卓、同じ半荘、同じ局に何度も何度も確率の低いほうばかりが発生する。

 

「それも確率の上で存在する可能性だから仕方がない」

 

確率論にとらわれているような方からはこんな言葉が返ってきそうですが(^_^;)

それならそれも良いかもしれません。

 

「対子場というものが存在する」という事実から目をそむけ、確率論にしがみついてみるのも良いでしょう。

そういう人はたいてい「だったら証明してみろ」とか言うんですけど、その言葉そっくりそのままお返しいたしますよ。

「対子場というものが存在しない」ということを証明してみてください。

 

存在を肯定するのと否定するのはどちらが難しいか真面目に考えてみると良いです。

これは対子場とかそういうものだけでなく、たとえば幽霊とかUFOなどのオカルト的なもの全般に似たようなことが言えます。

 

否定するほうが圧倒的に難しい(っていうか不可能※)のに「そんなのあるわけない」「科学的に証明できない」って、根拠も何もなく大きいことを言っているのは、ほとんどの場合においてむしろ否定派のほうなのです。

※参考記事

目に見えないものを完全に否定することは不可能
この記事は6分で読めます 世の中には目に見えないものがたくさん存在します。 麻雀で言えば「ツキ」「流れ」などがそれに当たりますね。 目に見えないものを大雑把に分類すると、その存在が「証明されているもの」と「...

 

科学的な証明とか言う人が非常に多いんですけど、科学ってまだまだ未発達な学問ですよ。

万能じゃありません。

確率論も同じことです。

 

確率論だけを持ち出して対子場という麻雀における事象を説明することはそもそも無理があるのです。

 

麻雀は順子場と対子場だけじゃない

最初のほうですこし触れましたが、対子場と順子場については対子が濃いか薄いかだと言いました。相反する2つの属性としてこう書くこともできます。

順子場 ↔ 対子場

 

ここですこし視点をずらして麻雀の手役というか、他の要素にも目を向けて見て欲しいんです。

たとえば、「門前」と「鳴き」は相反する属性と言えると思います。

門前場 ↔ 鳴き場

 

そして「ドラ」と「ドラ無し」、「一色」と「三色」、「数牌」と「字牌」、「真ん中」と「端っこ」、「断么九(タンヤオ)牌」と「么九(ヤオチュウ)牌」などなど・・・

これらの相反する属性が一局の中でどう発生するのか?

 

どちらにどれだけ偏っているかということなのですが、その偏りが手牌やツモの流れに影響しているわけです。

それが「場」ということになるわけですね。

 

順子場と対子場は一般的にも知られている言葉ですし、さきほどあげたような他の要素と比べると見えやすくてわかりやすいようなところもあります。

でも実は麻雀における要素の一端でしかないわけです。

参考記事

麻雀の手役を属性でわけてみる
↓記事で麻雀には場というものがあるという話をしたんですが、これを図で表せないかなと思って試行錯誤しながら書いた記事です。 順子 ↔ 対子 一色 ↔ 三色 タンヤオ牌 &#x2...

 

対子場を知りたいなら雀鬼の本を読むといい

対子場と順子場って言葉は耳にしますけど、はっきりとその意味がわかっていて使ってる人はかなり少ないと思います。

私もその一人ではありますが、経験則ですこしはわかってます。

 

私も対子場や順子場を最初から知っていたわけではありません。

麻雀を打っている時に友人が「対子場」という言葉を使っているのを聞いて知っただけです。

でもその時はほとんど対子場についてわかってはいませんでした。

 

対子場について深く学ぶことになったのは、やはり雀鬼の著書を読んでからです。

ここではそれについてはあまり触れませんが、ここに私が書いていることは「雀鬼の著書をきっかけに対子場(だけではありません)について正しく意識するようになったから得られたもの」です。

 

とはいえ、何の予備知識も無しにいきなり雀鬼の著書を読むのはナニ(?)ですので、最初はこの漫画がいいと思います。


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【雀鬼サマへの道のあらすじ】「雀鬼サマの愛人になりたい!」と桜井章一氏に初対面でのたまった漫画家、谷口亜夢。この運命的な(?)出会いから“雀鬼流麻雀”を勉強することになった彼女だが…!? 雀鬼サマへの道は高く、険しい…。だからこそ、そこに苦しみと歓びが生まれる。

 

関連記事

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20年間無敗という伝説を持つ雀鬼。1943年、東京都下北沢生まれ。 大学生の時に麻雀の代打ちとして裏プロの世界でデビュー。(この頃はまだメディアに出て来るような麻雀プロは存在していない) デビューしてから20年間一度も敗...

 

あとがき

ひとまず「対子場と順子場」についてはこれぐらいにしてきます。

そう簡単にわかるものではないし、わかったからってすぐどうこうできるような単純なものではありません。

経験を積みながらすこしずつ学んでいくしかありません。

ただその時に、狭い価値観(この場合は確率論)しか重視していないという状態はマイナスにしか働きません。

 

今でもこの言葉は存在しているようですが、一時期「デジタル」とか「デジタル雀士」なんて言葉が出現しました。

確率を重視した打ち筋とか、ツキとか流れとかを信じないタイプとかそういう意味だったようです。

それに対してツキや流れを意識して打つタイプを「オカルト」とか「流れ論者」とか言ってたようです。

 

私はそんな様子を遠くから見ていましたが、どうにも違和感ばかり感じてしまいました。

どうしてかって言うと、確率論って麻雀する人なら誰でも重視することなので、わざわざ「デジタル」などと言う理由が無いんですよ。

 

だいたいツキや流れを考えて打っている人は、確率は当たり前のように考えていますよ。

確率論を元にした牌効率などは当然のように考えています。

 

これは私の場合ですが、ツキの状態が良くない時に「確率の低いほうを引く流れ」というのがあります。

来ると予想しているほうの牌と逆の牌を引いてくる。

だからこそ「ツイてない」と言えるわけで。そんな時はあえて逆に受けてみたりすることもあります。

まぁ、これはほんの一例ですけどね(^_^;)

 

だから「自分はデジタル」とか「流れなんて存在しない」とか言ってるような人を見るとおかしくて・・・

だって「自分は視野が狭い」とか「自分は確率論にとらわれてます」などと自ら主張しているようなものですから。

「何言ってんのかなぁ」と・・・

 

最近の麻雀業界はよく知らないんですけど、いまだにそういう人っていらっしゃるみたいですね。

プロを名乗ってるような人でも「デジタル派」とか・・・

どうやらまだやってる人はいらっしゃるみたいですねぇ(^_^;)

 

まぁ・・・自分で言ってるだけなら自由ですしどうでもいいですけど。

「それあんまりカッコよくないからやめたほうがいいですよ」

・・・とは言ってあげたいですね。私としましては。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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