【麻雀】デジタルとオカルト(アナログ)とは?

麻雀コラム

麻雀には「デジタル」と「オカルト」という言葉を使って、思考や打ち筋(プレイスタイル)を説明することがあります。

他に「アナログ」という言い方もあるのですが、それぞれの定義については人それぞれですこし曖昧なところもあります。

本記事ではまず麻雀における「デジタル」「オカルト」「アナログ」の3つについてそれぞれ解説していきます。

そして初心者にはひとまず「デジタル」をおすすめしますが、最終的には「オカルト」をおすすめしています。

 

それぞれにおすすめする理由を詳しく書いていますが、記事の後半ではデジタル打ちを否定する理由をかなり詳しく書いています。

「オカルト」に対して否定的な感情をお持ちの方、または、デジタル信奉者、推奨派の方はここでページを閉じたほうが良いかもしれません。

もし読むのであればお気をつけください(^_^;)

麻雀のデジタルとは?

wikiを見てみるとこうあります。

「麻雀において、デジタルとは抽象的な要因を反映させない戦術論のことである。」

 

ほぼ1行にまとめてあるけど、逆にわかりにくいような気がしますね(^_^;)

ここで言う「抽象的な要因」とはおもに「ツキ」とか「流れ」のことです。「反映させない」っていう言葉もなんだか仰々しくてわかりにくかと思います。

というわけで、さきほどの一文を余計なものも取っ払ってわかりやすく書き換えてみるとこうなります。

「デジタルとはツキや流れなどを考慮しない戦術論」

 

うん、このほうがしっくり来ますね(^_^;)

さらに裏返すとこうかな?

「デジタルとは確率論を重視した戦術論」

 

実際にはおそらくこうですかね。

「デジタルとは確率論を重視したセオリーに基づく統計的な戦術論」

 

麻雀のオカルト(アナログ)とは?

wikiを見てみると「オカルト」の項目はなくて、「アナログ」として統一して表記されており、「アナログ」のことを「オカルトと呼ぶこともある」という一文がありました。

「アナログ」の定義としてはこうです。

「麻雀において、アナログとは抽象的な要因を反映させた戦術論のことを言う」

 

さきほどの「デジタル」に対して書かれたものを逆にしただけですよね(^_^;)

またわかりにくいし余計なものもあるので取っ払ってしまいましょう。

「アナログとはツキや流れを考慮する戦術論」

 

「アナログ」「オカルト」という言い方は元々は無くて、「デジタル」に対する逆の言葉を当てはめたのが始まりでしょう。

「オカルト」については、アナログ派の麻雀を認めようとしないデジタル派の方々が、アナログ派の言うことを揶揄するような意味合いで「オカルト」という言い方をしたのが始まりだと思われます。

「アナログ」と「オカルト」を別物として定義しているような方もおられるようですが、その差が曖昧なので正直よくわかりません(^_^;)

これは個人的な意見ですが、一般的に広く使われている「オカルト」で統一してしまっていいと思います。

「アナログ」って言っている人もあまりみかけませんので。

※当ブログでは「アナログ」と「オカルト」を同一のものとして扱い、「オカルト」で統一表記いたします。

 

デジタルとオカルトを漫画でわかりやすく

すこし古い漫画ですがデジタルとオカルトを描いたものがありますので紹介しておきます。

片山まさゆき先生の「牌族オカルティ」という漫画です。デジタル派の勢いが増した頃に現れた一人のオカルト雀士が、オカルトシステムという怪しくて胡散臭い麻雀で活躍していきます。デジタルとオカルトに挟まれた打撃系雀士というのも登場します。

無料で読めますよ^^

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【牌賊オカルティのあらすじ】リスマ雀士・梨積港(りつみみなと)を筆頭に麻雀界のタイトルを次々と制覇していく頭脳派集団「デジタルクルーズ」!!そしてそのデジタル旋風が吹き荒れる麻雀界に「オカルトシステム」を操る謎の男・群鴎刈人(むれおかると)が殴り込みにやってきた!頂上を目指す若手プロ・朧夏月(おぼろなつき)は、両者の間...

 

オカルトとデジタル おすすめは?

2019年現在、一般的に広く受け入れられているプレイスタイルはおそらくデジタルのほうですが、私のおすすめは先に述べたように、最終的にはオカルト(アナログ)です。

他の記事にも書いていますが、デジタルというのは言わば麻雀の表面しか見ていないような考え方だからです。

確率論は麻雀の基本ですので、それを重視するのはもちろん当然なのですが・・・

ツキを意識した上で長く麻雀を打っていると、確率なんてそれほど当てにならないということが自然とわかってくるんです。

 

確率の低いほうの結果が連続して発生するなんて日常茶飯事ですし、麻雀というゲームはけっして確率通りになんてなりません。

デジタル派の言い分である「確率は収束する」というのも本筋からズレていますし、麻雀が上達するためには「確率収束論」はむしろ邪魔になっちゃうんじゃないかなとも思います。

これについては後述します。

 

ツキや流れを考慮して打ったほうが麻雀は面白くなるというのもおすすめする理由の一つです。

私はデジタル打ちを大筋では否定していますが、初心者の方にはひとまずであるならばおすすめします。

 

先に述べたように確率論は麻雀の基本です。

初心者の方はツキや流れのことはあまり意識せずに、ひとまずデジタル打ちで確率論による牌効率を重視してみると良いでしょう。

無理やロスが減るので、少なくとも和了れる確率が高まるのは間違いありません。

でもある程度のところまでいったら、デジタル打ちは卒業してツキや流れを意識し始めたほうが良いと思います。

デジタル打ちはすぐに限界が来るからです。

 

デジタル雀士とオカルト雀士の実力を比較

デジタルとオカルトを比べると、デジタルはオカルトの一面でしかないと言えます。

オカルトなことを言う人はけっしてデジタル打ちができないわけではありません。

その気になればデジタル打ちもできないわけではないけど、もっと有効な打ち方があることを知っているからしないだけです。

・・・と言いたいところですが、実際にはピンキリです。

デジタルを高いレベルで運用できている打ち手はけっこういらっしゃると思いますが、オカルトを高いレベルで運用できているような真に強い打ち手はとても少ないでしょう。

 

デジタル雀士にしろオカルト雀士にしろその中間だろうと同じですが、その実力はピンキリです。

デジタル派プロの言うことを真に受けただけの「にわかデジタル雀士」もいれば、しっかりと勉強してデジタルを極めたような「高レベルデジタル雀士」もいるでしょう。

逆に、オカルト派プロの言うことを真に受けただけの「にわかオカルト雀士」もいれば、かなりのレベルでツキや流れを読んで感覚的にも凄まじいレベルの「高レベルオカルト雀士」もいるでしょう。

中には当たり牌はもちろん裏ドラや次の局のドラまで言い当てるような預言者みたいな人もいらっしゃいます。※私はたまにしかできません(^_^;)

 

証明するにはデータが必要ですが、個人的にはこんな感じの並びなんじゃないかなと今は考えています。

1 高レベルオカルト雀士
2 中レベルオカルト雀士
3 高レベルデジタル雀士
4 中レベルデジタル雀士
5 低レベル(にわか)デジタル雀士
6 低レベル(にわか)オカルト雀士

 

まず確率論的なことならば、計算さえすれば答えを導き出せるわけですから、それをしっかりやれば4、極めれば3までは上がれるということになります。それをやる前からツキだの流れだの言ったって意味ないです。だからにわかオカルト雀士はにわかデジタル雀士にすら劣ります。

2より上に上がるためには、デジタルを極める3ほどの確率論スキルは必要ありませんが、最低限4と同レベルの確率論スキルは必須だと私は思います。まぁ・・・ゆくゆくはあるにこしたことはないかもしれませんが、デジタルに完全に染まってしまうとオカルトはなかなか頭に入っていきませんのでね(^_^;)

 

デジタルよりもオカルトのほうが扱う情報量が多い

デジタルは手牌や場況などから確率を計算して正解を導き出そうとするわけですが、オカルトはそれ意外の情報も用いて正解を導き出そうとします。

ツモの流れや前局までの展開、自分のツキ、他人のツキ、アヤ牌など他にも色々な要素がありますが、目にみえていない要素なども含めた上での統計的なセオリーというのを、強いオカルト雀士は独自の経験則として必ず持っています。

 

「まずは和了りぐせをつける」

とか

「ピンチをうまく乗り切った次の局はいい手が入る」

とか

「ツイていない時はシャボ」

とか

「うまく説明できないけどこの嵌張は必ずツモるよ」

とか

「ここまで無駄ヅモ無いからリーチすれば一発でツモれそうだね」

 

・・・などなど、科学的根拠のない胡散臭い怪しい理論ではありますが、真面目に確率論で打つのがバカバカしくなるほどハマることがあるんです。

これを頭で考えて理解しようとしても無意味です。

経験則ですから、自分で実際に試して経験した人だけがその答えを得られるものです。

そして1回や2回で答えは得られません。

 

デジタル派はこれを試してみようとはしない人達です。

「ツキや流れ」を無いものとして※その手前で確率を計算し、有効だと思えるほうを選択する。怪しい理論にはまったく耳をかたむけずに手前で常に終わっている。調べようともしていないわけです。

だから理論上、奥にある答えをまったく知らない人達だと言い切ることがでます。

これがデジタルの限界と言ってしまっていいでしょう。

※ツキや流れを無いものと証明できているわけではない。「科学的根拠が無い」として考えようとしていないだけです。目を背けているとも言えます。

 

デジタルが麻雀の表面しか見ていないというのはそういう意味です。

デジタルよりもオカルトのほうが、より深く広く麻雀をとらえているというのだけは間違いないです。

ま、それは事実なんですが、残念ながらオカルトは衰退していると言えます。

 

オカルトは衰退している

2019年現在、麻雀界の状況をなんとなく見ていると、もっとも人気がある打ち方はデジタルだと思われます。

オカルト派もそれなりにいますが、計算して答えがはっきりと導き出せるわかりやすいデジタルのほうが、若い人達に人気であることは間違いないと思います。

 

「オカルト」は本来は「アナログ」であり、「デジタル」では表せない部分もカバーするような意味合いもあったのではないかと思いますが、それを実戦レベルでキッチリと説明できるような打ち手が現麻雀プロの中には存在しないと言えるでしょう。

デジタルと比べられたらオカルトはどうしてもフワフワした理論になってしまいますし、はっきり言って難しい上にとてもわかりにくいです。

だから衰退してしまうのも仕方がないのかもしれません。

 

デジタルはオカルトよりも簡単だから受け入れられる人が多い

先に述べたように、デジタルはオカルトと比べたら狭く浅い打ち方です。オカルトと比べたら簡単です。はっきりと答えが出せますからオカルトのようにフワフワもしません。

そして、これがキモなんですが・・・

プロと呼ばれるような方達がキチンと説明できる範囲はデジタルの部分のみです。オカルトの部分をキッチリと説明できるような人※は残念ながらプロ達の中にはいません。

※可能な範囲で説明を試みているような方はいる。土田浩翔さんなど。

 

オカルトの部分をキチンと説明できるような人は、今の麻雀界ではおそらく雀鬼こと桜井章一氏ただ1人だけでしょう。でも雀鬼は自分の麻雀をあまり広めようという気がないようです。

というよりは、雀鬼自身が広めようと本気で取り組んだとしても、おそらく無理なんだろうと私は思います。

※参考記事

雀鬼 桜井章一とは?
20年間無敗という伝説を持つ雀鬼。1943年、東京都下北沢生まれ。 大学生の時に麻雀の代打ちとして裏プロの世界でデビュー。(この頃はまだメディアに出て来るような麻雀プロは存在していない) デビューしてから20年間一度も敗...

 

雀鬼の麻雀(オカルトという言い方は違和感がある。超アナログ?)はあまりにも高レベル過ぎて、ほんのすこしだけでも理解できるという人は限られています。だから広まるも何も、そもそも絶対数が少ないと言えると思います。

 

一方、デジタルは浅く狭いですが簡単でわかりやすく、とても多くの人が理解できるので受け入れられやすいです。

理解できる人が多いのであれば自然と話題にもなるし、会話が盛り上がることにもなるでしょう。

だから広まりやすいのはデジタルです。

 

しかし、こう考えてみましょう。

計算すれば誰もが同じ結論になるということは、多くの人が自然とそういう打ち方になるということです。

では、いったいどうやって周囲の人と差をつけるんでしょうか?

 

デジタルは誰でもできるとまでは言いませんが、簡単ですからそこまで到達できる人の数も多いです。そして次から次へと下から上がってきてその人数はどんどん増えていきます。

どうやって周囲の人と差をつけて上に上がるんですか?

多くの人が計算さえすれば同じとこまで上がれるんです。

 

手作り?押し引き?精度?スピード?戦術?読み?

計算すれば有効な選択肢は誰もが似たようなものになるのではないですかな?

それではたいして差はつかないはずです。

これは画一的な思考の打ち手が量産されていくということでもあります。

 

受け入れられる人が多い簡単なものなので、他と差をつけて頭一つ抜けるためには他に何らかの要素が必要になるとは考えられませんか?

デジタルの天井(限界)はそれほど高位ではないのです。

ですから、たとえ衰退していようが私はオカルトをおすすめいたします。

 

オカルト打ちは難しい上にフワフワする

オカルト打ちはツキや流れという目に見えないものを読もうとする考え方ですので、どうしても理論としてはフワフワしたものになってしまいます。

しかも要素が多いから非常に難しい。デジタルの何倍も複雑です。

ですので、オカルト打ちを実践していく上で必要になるのは、頭の良さとかそういうものよりも、まず信念というものが必要になってくると思います。

 

何しろ科学的根拠なんてまったくなく常に胡散臭いですから(^_^;)

その胡散臭いものを何度も何度も試して検証していき、経験則としてどうにか使い物になるまでにどれほどの時間や労力が必要になるやら・・・。

しかも、結果というものはどうしたって良いほうへも悪いほうへもバラけるものです。

 

ほとんど病気とも言えるレベルの執着心というかストーカー気質というか・・・しつこさも必要になるかもしれません。

自分一人で検証しようとするなら、ですけどね・・・(^_^;)

 

幸いにも我々には雀鬼という凄まじい存在が書いてくださった本がありますので、ストーカーのようなしつこさは必要ありません。でも信念やある程度の我慢強さなどは絶対に必要です。

 

雀鬼の著書を読みつつそれを実戦の中で実践しながらある程度の半荘数を打ってみると、すこしずつ理解が進むはずです。

最初から試そうともしないような人には絶対に理解できません。

雀鬼流にイチャモンつけてるような人は入り口にすら入ってないくせに文句つけてるだけです。彼らの言うことを真に受けないでくださいね。ほとんど何も知らない人達なんですから(^_^;)

※参考記事

雀鬼流が弱いって何を根拠に言ってるの?
検索窓に「雀鬼流」と入れて半角スペースを入れてみると、関連する複合キーワードが出てきます。 その中に「雀鬼流 弱い」などというキーワードが・・・。「どうせ雀鬼流が弱い根拠なんてまったく無い状態で好き勝手なことをほざいてるだけなんだろう」というのが、覗くまでもなくわかりますね。

 

しかし、フワフワした理論ではそれも仕方がないのかもしれません。

計算ではっきりとした数字が出るデジタルならば、たとえ正解としては間違っていたとしても計算上は問題ありません。

「確率の高いほうを選択したけど、たまたま悪い結果になってしまった。」

と言うことができるからです。

 

オカルトではそうはいきません。

オカルト打ちでは確率の低いほうをあえて選択することも別に珍しくはありません。

それで正解だった場合はちょっとだけドヤ顔してもいいかもしれませんが、悪い結果になったらもう目も当てられません(^_^;)

「それ見たことか!」とデジタル派が鬼の首でもとったかのようにつけ込んでくることでしょうw

 

しかしですねぇ。

これは何度も経験しているからこそ言えることなのですが、確率の低いほうが正解というのは麻雀では別に珍しくないことなんですよ。

オカルトは理論として科学的根拠はなくフワフワしてはいますが、デジタルよりもオカルトが有効な例はそれこそ腐るほどあるのです。

オカルト理論が常に隙だらけなのは仕方がないことです。多くの人が納得できるであろう科学的な証明をすることができないわけですから、これはどうしようもありません。

 

オカルト理論を擁護しようにも守る方法はないのです。

だからまぁ・・・アサルト麻雀のブログ名よろしくノーガードで攻撃のみに専念してデジタルの隙をついていきましょう。

 

麻雀の選択で確率は収束するから有効という間違い

デジタル派の言い分の一つにこういうのがあります。

「確率は収束する。常に確率の高い方を選択していれば、有効であることがいずれはデータに反映される。」

確率収束論というものですね。

 

コイントスと確率収束論

これは麻雀だと複雑なのでまずはシンプルなコイントスで確率収束論を説明しましょう。

コイントスとはコインを投げて表が出るか裏が出るかを言い当てて何かを賭けたりする遊びです。

基本的に結果は「表が出る」と「裏が出る」の2通り※ですので、確率はそれぞれ50%ということになりますよね。

※ここではコインが縦になって「表でも裏でもなかった」レアなケースは除いて考えます。

 

たとえばコインを10回(試算回数)投げてみて結果が以下の通りになったとしましょう。

表:4回

裏:6回

 

確率通りであれば、表5回、裏5回となるはずですが、計算通りにはならずに若干のズレが発生しました。

今回は表4回、裏6回というわりと計算通りに近い結果でしたが、表1回、裏9回という偏った結果になることももちろんあるわけです。

 

しかし、「試算回数を増やせばより計算通りの数値に近づく」という「確率は収束する」というものが考えとしてあります。(確率収束論)

10回を100回にすれば、表50回、裏50回が確率通りの数値ということです。

1000回ならば、表500回、裏500回。

10000回なら表5000回、裏5000回ですね。

 

試算回数が増えれば増えるほどそのズレは少なくなり、計算通りの数値に近づいていく?

もちろん理論上はそうなります。それは確かに間違ってはいません。実際に試してみてもそうなる可能性は高いでしょう。

 

しかしですね。これはあくまでも理論上はそうなるというだけであって、必ずしもそうなるとは限りません。

1回だけコインを投げて、表と裏が出る確率は50%と50%ですから、計算上の数値はそりゃそうですよ。当たり前です。

それを1000回もやれば近い数値になる場合が多いでしょう。

でも確証があるわけではないですし、偏った結果になる可能性だってあるんです。

 

たとえば1000回投げてみて、表400、裏600になることもあれば、表100、裏900になることだって当然ありえます。たしかにこれほど偏るのは珍しいケースではあるでしょうけれども、理論上そういうケースがあることを完全否定できるわけではありません。

 

それぞれの結果の確率が50%というとてもシンプルなコイントスですらそうなんです。

とても複雑な計算が必要な麻雀でこの「確率収束論」がいったいどれほど役立つと言えるのか?

もうこの時点で疑問ですが、そもそもそれ以前にも大きな問題があるのです。

 

麻雀ではコイントスのようにほぼ同じ状況で何度も試算できるなんてことはありえません。

自分の手牌がほぼ同じ形になることですら、あまり頻繁にはありません。これは半荘30回ぐらい打ってようやく1回あるかないかと言ったところではないでしょうか?

それに加えて他家の手牌はもちろん山の牌がほぼ同じになることだってありません。

可能性が0%とは言えませんが、レア過ぎてあまりにも非現実的です。

麻雀でほぼ同じ状況になることなんてほとんど無いんですよ。

 

まったく同じ状況(自分の手牌も他家の手牌も山の並びも同じ)になることはほぼありえませんから、よく似た状況での試算ということならできなくもないかもしれませんが、それだと意味がないはずです。

っていうか、打っている最中に判断できる時間はありません。

 

ということは、収束論を当てはめる事自体がそもそも間違っていると言えるのです。

「初心者の方が自分の手牌だけを見て有効な牌を選択する目安」ぐらいには利用できますが、他家の捨て牌だってあるわけですから、正解はけっして同じにはなりません。

確率では上、下というのは計算上はあるでしょうけれども、それが収束するためには気が遠くなるほどの試算回数が必要になります。

そして自分の手牌だけでも同じになる状況が、先に述べたように「半荘30回に1回あるかどうか」という頻度です。もちろんそれ以下かもしれません。

加えて他家の手牌や山の並びまで同じなんてのは、一生かかって1回あるかどうかと言ってしまっても良いぐらいレアなケースではないでしょうか?

 

仮にそうだとするならば、麻雀では確率が収束することはほぼ無いということになります。少なくとも自分が生きているうちには収束しないでしょう。

収束するにはとんでもない回数が必要だからです。

理論上そうなります。

 

1局1局が別世界だと考える

長々と書いてきましたが、ちょっとわかりにくいかもしれません。

こう考えると良いです。

麻雀の1局1局は牌の並びが違うのでまったくの別世界です。

たとえ自分の手牌がよく似た形だったとしても、山や他家の手牌の並びは別でしょう。

 

別の世界同士で確率を考えてみたところで、あまり意味がありません。

仮にかなり似通った並びだったとしても1牌でもずれていれば結果は大きく変わるかもしれないからです。

別世界で何が起こるかを計算しても数字通りにはならないということです。

 

麻雀を長く打っていればわかると思いますが、待ちが4つあるリーチがあと1枚しか残っていない嵌張待ちに負けるなんていう理不尽なことは日常茶飯事です。

確率が高いほうが常に有効などということは絶対にないのです。

説明してきたように収束だってしません。

つまり確率だけを重視して麻雀を打つのは間違いという結論になります。

 

確率論を軽視するというのとはちょっと違います。

デジタルと言っている人達ほどには重視しないということです。

他に重視すべきものがあるということでもあります。

 

麻雀での確率は大半が誤差レベル

他に重視すべきなのは、もちろん「ツキや流れ」ですが、そういうものを信じようとしない人は多いです。

私も本記事ではそれについて詳しく書くつもりはありません。

代わりに「麻雀での確率は大半が誤差レベル」という話をしていきましょう。

 

たとえば手牌にこんな形を持っていたとしましょう。

三三四

二か五が来れば順子が完成しますね。もし三が来れば刻子が完成します。

 

① 6巡目までに順子が完成する確率は?

② 6巡目までに刻子が完成する確率は?

 

ここで私が重要視するのは細かい数値ではありません。考え方次第では実はそんなもの不要です。

真面目に計算したい人はしてみればいいですが、①も②も90%以上にはならないですよね?

いかがでしょうか?

 

計算するまでもなく直感的に90%を超えないことはわかると思います。

ツモってくる牌が②か⑤という場合、「34分の2以下」です。これは10%にも満たない小さい数値です。6巡目の6をかけてもようやく35%です。

 

6巡目というのを15巡目にした場合はどうでしょうか?

88%ほどになりますがこれはあくまでも単純計算です。実際には巡目が進めば枚数も変化するので、キッチリ計算すればこの数値も変化します。

でもそんな細かい数値どうでもいいです。

 

三三四

配牌でこういう形を持っていて、面子が完成しなかった時と完成した時のケースがどれぐらいなのか、そのデータに意味があると思いますか?

完成する時は完成するし、完成しない時は完成しません。

確率の数値が20%だろうが50%だろうが90%だろうが、完成するならするし、しないならしないんですよ。

ということはもはやただの誤差じゃないですか。

 

実際に計算するともっと細かく数値として出せることは出せますが、出してみたところでその数値はあまりあてにならないんですよ。

麻雀において100%という数値はありますし、0%というものもありますが、確実と言える数値はその2つのみです。

そして真面目に計算してみればわかりますが、麻雀では50%を超えるケースからしてあまり存在しないと言えます。

 

90%でもはずれるのに、50%以下の確率なんてどっちにも転ぶってことだし、数値としてもあてに出来ないものが大半をしめるのです。

そして、先にのべたように収束もしません。

 

それでもあなたは確率を重視しますか?

たとえば選択肢が3つありそれぞれが正解である確率は、

35% 45% 20%

とか、こんな微妙な差にしかならない場合がほとんどです。どれを選んだって正解するかはずれるかわかったもんじゃないでしょう?(^_^;)

 

この場合、45%を選んだって55%がはずれかもしれないってことなんですよ?他よりは数値上はマシですけどほとんど誤差レベルでしょう?

私の言いたいことがおわかりいただけたでしょうか?

 

三三四

ちなみにこの形の場合、私ならば確率ではなく場やツモの流れで判断します。対子場なら四を切ってみますし、順子場がはっきりしているなら三を切ります。

つまり、確率よりも場やツモの流れを読んで判断するほうが重要と考えているんです。

 

真面目に計算しても誤差レベル、ってことは勘で選んでも似たようなもんなんです。

それならいっそオカルトだっていいじゃないですか(^_^;)

 

あとがき

科学的根拠のないものを積極的に無視するという思考は、たしかに現実的ではあるんだけれども、世の中はそれほど単純ではない。

不思議なものは存在するし、奇跡のような出来事はいたるところで多く発生している。

それらの中には科学的な証明が出来ないものも多くあるが、その理由は様々だ。

今後、新しい発見などにより科学的証明がなされることもあるだろうし、いつまでも証明されないようなものもあるだろう。

 

科学はまだまだ未発達な学問なんだ。

現状わかっている範囲のテクノロジーや理論で証明できないからと言って、「そんなことは無い」などということにはならないんですよ。

デジタル派の方々はその部分に目をつむっているでしょ?

 

「ツキや流れは存在しない、そんなことを考えて打牌を選択するのは愚かなことだ」

そりゃ口で言うのは簡単ですよ。でもろくに検証もせずに「存在しない」と決めつけているなら、デジタル派が小馬鹿にしているオカルト理論と大差ないですよ。

証明できないのはどちらも同じなんですから。

 

浅く狭いところで計算上の正解は出せますよ。でもそんなのオカルト派だって当然のようにやってます。

まぁ、未熟なオカルト派の方が付け焼き刃を振り回して自爆していくことも多いみたいですけどね。

 

自分の受け入れやすいものを受け入れてるだけでは、選択肢は必ず減りますよ(^_^;)

今の自分の価値観では受け入れがたいものを試していく勇気が必要です。

試そうとしない人は所詮はそこまでの打ち手ということですな。

 

こんな深いところまで読んでくださったあなたはどうでしょうね?

すこしは試してみようという気になりましたかな?

もしそうなら私も長々と書いたかいがあったということになります^^

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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