天運と地運

また麻雀とツキの話です。別に麻雀に限ったことではないのですが、ツキには天運とか地運とかいうものがあります。

他にも人運というのもあるようですが、これは私自身まだいまひとつはっきりわかっていませんのでここではあまり触れません。

 

これまでにもどこかで書いたかもしれませんが、ツキというのは目に見えないものなのでどうしても説明することは難しい。

その存在を科学的に証明する方法も残念ながらありません。

でもだからってその存在をただ否定してるだけでは何の利益もないと思います。

 

私が天運、地運、人運という言葉を知ったのは雀鬼の著書でですが、これらの単語はもともと昔からあったようです。

ここではそんな天運と地運について説明を試みていきます。

 

天運、地運とは?

天運とはもともとその人が持っている運(持って生まれた運とも言えます)のことをいいます。一般的に広い意味で「運」という言葉で指しているものと同じだと言っても差し支えないかと思います。

そして地運とは自らが努力や工夫をすることによって発生する運のことを指します。自力(地力)運と言う場合もあるようです。

 

上の説明だけだとちょっと難しいですよね(^_^;)

例え話で説明してみましょう。

 

天運と地運を川の船で例えると

川の上を船で進んでいるのを想像してみてください。

川の流れによる力を天運とするならば、地運は自らの力で漕いで進もうとする力のことです。

 

特に何もしなくても船は川の流れによって進んでいきますが、川の流れにそって漕げば船は速く進みますし、逆に流れと反対方向に漕げば船の速度は落ちるでしょう。

また流れに対して横に漕ぐこともできます。

 

天運と地運を人生で例えると

今度は川ではなく人生で例えてみましょう。

 

天運が大きい人は裕福な家庭に生まれ、両親はどちらも立派な人物です。

本人は特に努力や工夫をしなくても、親から栄養のある食事や質の良い環境で育てられ何不自由なく暮らして成長していきます。

親の支援により良い教育を受けるチャンスを得ることもできるでしょう。

 

一方、天運が小さい人はあまり裕福ではない家庭に生まれ、両親はあまり立派とは言えないような人物です。

食事は与えられますがけっして十分に満足できるものとは言えず、生活環境もあまりよくありません。どうにか成長はしていけますが、このままではなにかと不自由な状態が続きそうです。

親からの支援は期待できないので、良い教育を受けるには自身が努力や工夫をしなければならないでしょう。

 

天運よりも地運が大事

さて、二つ目の人生の話を読んでみてあなたはどう思いましたか?

天運が大きい人の人生をうらやましく思った方も多いのではないでしょうか?

 

親の力によっていたれりつくせりな状態で順風満帆といった感じですからね。うらやましく思う人が多いことはうなづけます。

麻雀で言えば良い牌がいっぱいやってくるようなツイている状態と言えるでしょう。

 

しかしですね(^_^;)

天運が大きいことは必ずしも良いことだとは限らないのです。

実は地運のほうが重要なのです。

 

「川の船」のほうで考えてみてください。もし川の流れが強すぎる場合はどうなりますか?

いくら一生懸命に漕いでも船の動きにあまり影響しないということは容易に想像できますよね?

 

逆に川の流れがほとんどないような場合はどうですか?

そのままでは船はなかなか進んでいきませんよね。

でも自分の力で漕げば船は進んでいきますし、好きな方向へ進むことが可能です。

 

人生のほうではどうでしょうか?

天運が大きい人の人生は、たしかに一見はうらやましく思えます。

しかし、本人が特に努力や工夫をしなくても物事が順調に進むということが、いったいどういうことなのかをよく考えてみてください。

大雑把に言えば、努力や工夫をするという能力(自力)がなかなか鍛えられないということです。

 

だって本人が特に何もしなくても親の力(天運)でなんとかなってしまうんですよ。

そもそも頑張る必要がないのです。

 

これ、実はかなり恐ろしいことなんです。

人生の話の天運が小さい人のことを思い出してください。

彼は親の力(天運)をあまりあてにできないので、自らが努力や工夫をして自力(地運)を身につけなければなりません。

そうしなければ物事がうまくいかないわけですから、自然とやらなければいけない状況に追い込まれるのです。

 

彼は様々なトラブルに見舞われ、親の力(天運)だけでは解決できずに自力(地運)で解決しなければならないことも多いでしょう。

一方、天運の大きい人は同じようにトラブルに見舞われますが、親の力で解決してしまうので自力(地運)を使う必要がありません。

 

よろしいですか?

トラブルや問題は人それぞれいろいろな差はあるでしょうけれども同じように降りかかります。

それを自力(地運)で解決してきた人と、親が勝手に解決してしまっていた人と、どちらが有能な人間に育つか想像してみてください。

 

考えるまでもないことですが、自力(地運)で解決してきた人のほうが有能に決まってます。

親の力(天運)は、存在する限り幸運をもたらしたり、トラブルや問題を未然に防いでくれたりするでしょうけれども、いつまでも大きいということはないでしょうし、いつか無くなってしまうかもしれないものです。

一方、地運というのは自分の力によって発生するものですから、少なくとも無くなることはないんです。

まぁ、努力や工夫の方向が間違っている場合は幸運をもたらすとは限りませんけどね。

 

でも天運と地運のどちらを重視するべきかはわかるでしょう。

地運のほうが圧倒的に大事です。

 

麻雀に置き換えてみましょう。

幸運が続いているうちは順調ですが、その幸運が弱くなった時にどうなるかということです。

幸運はトラブルや問題を防いでくれていますが、その防御壁がなくなってトラブルや問題が襲いかかってくるんです。

解決する力が天運の他に必要な状況になるということなんですよ。

その解決する力が地運です。

 

麻雀はツキ(天運)さえあれば必ず勝てる

「麻雀はツキがあれば必ず勝てる。

たとえ相手より自分のほうが麻雀の実力が低くても、とにかくツキさえあれば勝ててしまう。」

 

デジタル派だろうがオカルト派だろうがその他だろうが、上記のように考えている方は多いと思うのですがいかがでしょうか?

ほしい牌を連続で引いてくるようなツイている日はいっぱい和了れるし、相手の当たり牌をまったく引いてこないような幸運が続けば振り込むことはない。

もしそんな幸運な状態がずっと続くなら、実力なんてまったく関係なく自然と点棒がいっぱいになり必ず勝てます。

 

そんなツイている状態を想像するとよだれが出てきてしまいますが・・・(^_^;)

これは麻雀をながく打ってる人ならおそらく誰でも経験があるであろうバカヅキ状態の日ですね。

 

これはもっともわかりやすい天運の例だと思います。

とても大きな天運がその人にあり、他の方は普通かそれ以下の状態。

 

さきほどの文の「ツキ」を「天運」に書き換えるとこうなります。

 

「麻雀は天運があれば勝てる。

たとえ相手より自分のほうが実力が低くても、天運さえあれば勝ててしまう。」

 

バカヅキ状態というのはツイている人は楽しくてしょうがないのですが、やられている側からしてみると理不尽な状態と言えます。

ちゃんとやっているはずなのに、良い結果のほとんどをバカヅキ状態の人がさらっていってしまうんですよ。

 

仮に実力がまったく同じ人が二人いたとして、それぞれに同じだけ努力や工夫をしたとしたら、良い結果も同じように得られる。

世の中がそんな単純なら良いのですが、けっしてそうなるとは限りません。

一方は良い結果だけを拾い、もう一方は悪い結果だけを拾う。

 

そんな理不尽な場面は世の中にいくらでも存在します。

実力が同じはずなのに結果は同じにはならない。

これが天運の差であることはきっと多いでしょう。

 

麻雀でもこれは頻繁に発生します。

さらに言うならこの例はまだいいほうです。

実際には実力が高いほうが天運の差によって実力が低いほうに負けるということも発生します。

 

そんな時はいったいどうすれば良いのかという話はまた他で書くとして、その理不尽さに対応するためには何をすればいいのでしょうか?

地運(自力)を鍛えるんです。それしかありません。

 

地運(自力)でどうにかして「凌ぐ」

地運とは乱暴に言ってしまえば自力のことです。船の話で言うなら「漕ぐ力」です。

漕ぐ力が強ければ川を逆らって進むことだってできるし・・・横に漕いで岸を目指すことだってできる。

天運だけで進んでいるような船を追い抜くことだってできます。

 

人生の話で言うならば、、、

・親の仕事を手伝ったりして少しでも親の力(天運)を大きくしようとする。

・アルバイトをしてお金を稼ごうとする。

・勉強したり鍛錬して自力を高めようとする。

・奨学金制度について調べて利用しようと試みる。

 

他にも色々な努力や工夫の形があると思いますが、共通するのは自らの力によってどうにかしようとするということです。

ここで重要なことが一つあります。

 

「相手(他人)をどうにかしようということではない」ということです。

自分の身にに降り掛かってくる様々なトラブルや問題を解決し、その状態を維持してなお余力があるならば、さらに自分の状態をより良い状態へと高めていこうとする。

これを「凌ぐ」と言い、自力を重視した麻雀ということです。

 

「凌ぐ」の反対を「殺す」と言いまして、これは他力を重視した麻雀です。

これは「相手(他人)をどうにかして自分の身を立てようとする」ことです。

相手をひっかけて騙したりするような麻雀のことですね。

 

「凌ぐ」は「自らの力によって自分の身を立てようとする」ことです。基本的には他人は関係ありません。

 

この記事は天運と地運の話なので「凌ぐ」と「殺し」についてはまた他で書くとしまして、このへんで説明を終わります。

 

あとがき

色々と書きましたが、その正しさを証明することはできません。

また、ここに書かれたことが間違っていたとしても責任をとれるわけではありません。

ツキは目に見えないものですから仕方がないのです。

 

私は長いこと麻雀のツキについて研究してきましたが、ある時に麻雀からは離れました。

天運勝負の場になりやすいレベルの低いメンツしか揃わなくなってしまったことが大きな原因ですが、天運や地運は麻雀じゃなくても研究できることがわかったからでもあります。

 

特に天運についてはちょうどいい題材が流行っていました。

もう古い話ですが細木数子先生の六星占術のことですね。

あれはまさに天運を計るにはうってつけだったと言えます。

 

細木先生が言うには、人には運気というものがあり、その周期は人それぞれ決まっている。

これはまさに天運のことですよね。

 

こうしてツキの話を書いたりしてはいますが、私は基本的に目に見えないものは信じません。でもだからと言って疑うだけでもありません。

自分で確認してみないと気がすまないのです。

 

当時は特にそうでしたが、偉いと言われるような人が何を言おうが私には関係ありません。これは雀鬼や細木先生が相手であっても関係ありませんでした。

今でもその名残りはちゃんと残ってまして、「雀鬼がこう言っていたから」とか「細木先生がこう言っていたから」などと言うつもりは私には毛頭ありません。

 

だからまぁ、当時の私は細木先生がテレビなどで言うことを真に受けたりはせず、かと言ってはなから疑うわけでもなくチェックしておりました。

そのうち先生の著書を購入して読むようになり、雀鬼と似たようなことをたくさん書いていることに驚き、ツキに対する考え方が大きく変化しました。

 

まぁ、そのことはまたそのうち書くかもしれませんし、書かないかもしれません。

だってうさんくさいと思われる確率が一気に高まるでしょ?(^_^;)

まぁ・・・別にそれでもいいけどw

 

雀鬼も細木先生も間違いなくすげーんだけど、あまりにもすごすぎて理解できない人のほうが世の中多いんですよ。

いや、あえて言い直させてもらいますが、「理解しようとしない人」というのがあまりにも多いんですよ。

 

そういう人達に対して共通して言えることは、「疑う前にちゃんと確認してみたのか?」「あんたら彼らに比べてどれだけのことを成したの?どれだけのことを知ってるの?」ということです。

ろくに確認したわけでもないくせに否定したりするなんて、私からしてみたらちゃんちゃらおかしいんですよ。

 

彼らの発言の正誤を確認するには何年もかかる場合がほとんどだし、ぶっちゃけて言ってしまえばどうしたって統計的な判断をするしか方法はないんだ。

麻雀で言うなら何百回、何千回分もの大量のデータを集めて、それぞれ吟味してみなくちゃ確認したことにはならない。

それをキッチリやったとしても、100%否定というのはそもそもできることではない。

 

それなのにたいした経験をつんだわけでもなくどこの馬の骨ともわからないような人が、師匠とか先生とか呼ばれているような人の言うことを疑うだけでなく完全否定していたりする。

どう考えてもおかしいんですよ。

 

口ではなんとでも言えるんです。

「そんなものあるわけがない」なんて否定的なセリフは誰でも言えます。言うだけなら日本語を覚えたての子供だってできます。楽だし簡単です。

でもその発言を証明することは絶対に不可能なんです。

参考記事→『目に見えないものを完全に否定することは不可能』

 

これは私の経験則ですが、目に見えないものをただ否定してしまうような人は、自分が知っていることしか認めようとしません。その状態は自らの成長をとても遅くしてしまいます。

簡単に何でも鵜呑みにしてしまうような人よりはマシかも知れませんが、すこしは「確かめてみよう」としてください。そのほうがきっと人生はうまくいきますよ(^_^;)

 

長々と最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

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